黒歴史って言いたいだけ

中学生の娘が、なにかといえば「マジ黒歴史」と言っている。

だいたい大したことはない。ものすごく大したことない。黒歴史ってそんなものじゃない。

 

私は中学2年か3年あたりに、思い出すのも恥ずかしいくらい谷崎潤一郎にハマった。細雪ならいいが、痴人の愛にハマった。それだけでも十分黒歴史の萌芽なのに、ことは萌芽では済まなかった。

私は痴人の愛のナオミに憧れるあまり、ナオミ風になろうとした、いや、ナオミになりきっていた、というか、わたしってナオミじゃない?と思っていた。

地方のイモっこ中学生と魔性の女ナオミのどこにどんな共通点が?であるが、それが黒歴史黒歴史たるゆえんであろう。

あらためて、わたしの似非ナオミっぷりを思い出すとうわあああとなる。まだうわあああとなれるのだ。30年以上経つのに恐ろしいほどの鮮度である。

もしかして黒歴史ナオミの詳細を書いて楽しめるかな、と思いながら書き始めたものの、その驚異的な新鮮さというか鋭利さは、まだまだ枯れるとかしなびるといったことを知らぬようで、あまりに容赦なく私をうちのめすので、もうしばらく寝かせておくことにする。

 

朝ドラの戦争描写に「?」と思ったけど、まいっか、と思った中学生の娘の話

娘は平成生まれの中学生。彼女にとってのお年寄りもとい祖父母、つまり私の両親はもちろん戦後生まれだし、戦争のことなどリアルに聞く由もない、中学生。

娘に「どのくらい太平洋戦争のこと知ってんの?」と聞いてみたところ「中学受験をなめるな!知ってるわ!」といきがって「平清盛のスパイみたいな子どもみたいな警察みたいなのがいるじゃん、戦争の時って」と言い出した。ちょっと意味がわからない。

「で、このあいだのあんぱんで、そういうのに嵩と千尋がしょっぴかれないか、あの、料亭みたいなところで『こんな戦争がなかったら』とか言ってたじゃん、あのとき、襖をがらっと開けて、そういう警察みたいなのが入ってくるんじゃないか、とドキドキしながら見てたよ」

なるほど。意外とちゃんと考えてる!

「あの、料亭のおかみさんみたいな人が通報したんじゃないかと思って。だって途中まで聞いてたじゃん、あの人、で、途中からいなくなったから、絶対通報したと思ってた!そういう時代っていうのは知ってる」

途中、かなりとっ散らかりながらも、だいたい合っている説明をしてくれた。

平清盛のスパイみたいな子どもみたいな警察みたいなのに捕まらなくてよかったよね、柳井兄弟。

 

ちなみに「平清盛のスパイみたいな子ども」とは、どうやらちゃんと平家物語に出典のある「カムロ」のことで、引用すると

(清盛の発案により)14、5歳の童を300人そろえ、髪をかぶろ(=おかっぱ)にし、赤い直垂を着せて召使にしていた。彼らは京都の市中に放たれ、平家を悪く言う者があればその家に乱入し、家財を全部取り出してしまい、悪口を言った本人を捕らえて六波羅へと連れて行った

もののことらしく、娘曰く「塾でならったわ」だそうである。

ほほう。塾、役に立っていてよかった!

 

しかし、こんなわが娘のようなふっつーの女子中学生がひっかかるような時代考証でいいのかな、とも思うわけで。

私も最初は面白く観ていた朝ドラだったけど(録画してまで!)、ちょこちょこ「?」な部分がひっかかって、それも、ストーリー展開というより、時代考証というか背景というかそういうものに対する丁寧さが薄れてきて、雑というかアラのようなものがちょこちょこみられるようになって、ちょっと残念だな、と思っているところ。

 

しかしながら我が家の柔軟な中学生女子は、「嵩も千尋も運がいいんじゃね」などと薄っぺらい感想を述べながら、まったく気にせず観ている次第。

彼女らの世代、いろんなドラマや動画はみていても、よくよく考えたら戦争ものには馴染みがないため、とても新鮮なようであります!

 

 

 

不均衡を愛でる

近所に、中学校がある。

放課後や週末、中学生たちの部活動でのかけごえが、グラウンドから聞こえる。

この、彼らの準備運動のかけごえが気になる。

 

「1、2、3、4!」

「5、6、7、8、9,10!」

 

9、10は余計ではないか?

左右で交替する動き、たとえば右のアキレス腱を伸ばしたあと、続けて左もやるとしたら、このカウントでは左右で回数の不均衡が生まれる。

なんとも気持ち悪いのだが、いいのか?

何かの間違いではないかと思ったが、ずっとこの調子である。

彼らは気持ち悪くないのか?

長い歴史があって変えられないのか?

歴代のサッカー部員の中に異議を唱える者はいなったのか?

そしていま、「これ、おかしくない?」と悶々としながら準備体操をおこなっている部員たちも少なからずいるはずである。

 

「9、10いる派」「9、10いらない派」の水面下の攻防があるかもしれない。

いや、ないか。

些細すぎる問題を大きく提起するのは、周囲からの不要な逸脱を避けたがる思春期の中学生の本意ではないはずで、おそらくそんな攻防はなく、やはりここは「9、10」を我々近隣の者たちも受け入れていかねばならないのだろうな、と着地する。

しかたあるまい。

 

 

 

女のひとを好きになったことがある

私は現在、2児の母であるし、ずっと男の人が好きだったし今も男の人が好きだけれど、1度だけ、女のひとを好きになったことがある。

彼女が好きだった曲はとても息が長くて、20年くらい前にリリースされたものなのに、いまだにときどきコンビニで流れていたりする。

最初は憧れだと思っていたから、彼女がほかの女の子と遊びに行ったと聞くと、「いいなあ!私も誘われたかったな」と思う程度だったのに、すこしずつその感情がエスカレートしていることに気づくことが、我ながらすこし恐怖だった。わたし、大丈夫?という恐れ。

それでも彼女が女の子たちと遊んでいる分にはまだよかったのだ。

ある時、彼女が男の人と趣味のスキー(仮)のために旅行すると聞いたとき、私は平静を保つのに必死だった。この感情には既視感があり、昔から知っていたことに気づく。それまでは、好きな男性に近寄る不穏な女子に対してしか感じていなかった警戒と嫉妬の気持ちである。

 

いまの私は分別をわきまえたただのおばさんで、でも時々彼女が好きだった曲を耳にするたび彼女は律儀に現れては消えるのだ。

 

 

 

資料級の昔話が埋もれてしまう前に 

小学3年生の娘が、朝ドラ「あんぱん」を見ている。

ドラマは目下、太平洋戦争中である。

楽しそうにみていると思っていたけれど、先日、「怖い夢を見た。家族みんなで戦争に行く夢」と泣きながら報告してくれた。

家族みんなで戦争というと、物見遊山というか旅行感があって全然怖くなさそうだけれど、怖かったらしい。もはや戦争のことなど、ドラマですらほとんど見ないから朝ドラ貴重だな、と思いつつ、怖がる娘の背中をよしよしと撫でる。

小学校3年生にとって、戦争はファンタジーなのだろう。

私の祖父は、戦争に関わっている。だから私が小学3年生のころは、祖父から直接戦争の話を聞くことは可能ではあった。可能ではあったけれど、直接聞いたことはない。直接聞けない雰囲気があったのだ。触れてはいけないという、闇というほど暗くはないけれど、電球もといLEDには発生しない、蠟燭やランプでしかうつしだされない影のようなものを、子ども心にもうっすらと察していたのかもしれない。

などといい感じのことを書いてみたが、基本的に能天気な南国気質の親戚一同は、”南方戦線に行っていたのにも関わらず、怖くて一人も敵を殺せずにずっと隠れて生き延びた祖父”のことを、「まっこちほがねもんじゃ(宮崎弁で「なんて頼りないんだ!」の意)」とたびたびネタにしては笑っており、それを聞いても祖父は特に何も言わずにニコニコしていた。そこから小学生の私が何かを察することができたか甚だあやしく、蝋燭だのランプだののかっこいい感じはあくまであとづけで、そんなものはたぶんなかったと思う。

貴重な事実としては、祖父は戦争に行ったのに一人も敵を殺さず、逃げ回って帰還した、ということである。

それを今の価値観で立派!と言いたいわけではない。ただ、そういうタイプの人間もいたのだ、ということは、ちょっとした資料級の昔話ではないかな、と思うわけで、戦争に駆り出された当時の若者たちがみな、お国のために!と一糸乱れぬ突撃をしたわけではない、という事実の証人としてここに記載する、というだけである。

 

 

骨盤底筋群体操をおすすめする

先日、某婦人科疾患の手術をおこなったあとから、骨盤底筋群が弱っていたと思える症状が出始めました。

詳細は割愛するものの、女性として、まあまあの尊厳を失う事態になっていたのですが、なんと!1週間、まじめに骨盤底筋群体操にとりくんだところ、明らかな改善が見られた、という話。

 

当初、この症状が出始め、婦人科を受診した際に「骨盤底筋を鍛える体操をしましょう」と言われたわけですが、こんな恐ろしげな症状が体操ごときで改善するなどとは思えず、「人のことだと思ってテキトーなこと言ってんな」と不信感でいっぱいになりました。(のちに、理不尽な不信感で申し訳なかったと反省いたします)

 

で、現代人のたしなみとしてまあ、検索するわけです、「〇〇(症状名) 骨盤底筋群体操 効果」みたいな感じで。

 

すると驚くほど、個人の体験談がヒットしないのです。

ヒットするのは、クリニックや病院や、理学療法士さんや看護師さんの温かいメッセージとともに、骨盤底筋群体操のメリットが書き連ねてあるものばかり。

なんというか、通りいっぺんのありきたりな他人事感がぬぐえないのです。

がんばりましょう!きっと効果は表れます!大丈夫です!みたいな。

いえ、分かっています、この感想じたい、ねじけた醜い心の産物であることも。

 

個人の「骨盤底筋群体操、マジ神!」みたいなブログがあれば、その書きっぷりがどんなにバカバカしいものであったとしても、いや、むしろバカバカしいものであればあるほど、私の心にはたちまち平安が訪れたはずなのです!

 

結局、そのようなブログには一つもたどり着けず、ますます不安な思いは増幅されました。

 

とはいえ、ほかにやれることもないので、全力で、暇さえあれば、やったのです、毎日骨盤底筋群体操を、真面目なので。

 

すると1週間後くらいからでしょうか、ちょっと変化が出てきました。

ちょっと変化を感じると当然やる気も出ますので、加速度的に、狂信的に、ちょっとでも時間があればすべてを骨盤底筋群体操に費やす生活を行いました。

仕事中も、ちょっとの隙間でささささっとやります。

こどもたちの宿題を見ている間など、もはやこれ以上ない最適な体操タイムです。

隙間時間ってものすごく多いな、ということを感じ、わたしって日ごろ、この隙間時間に何やってたんだろ、と無関係の反省もしつつ取り組み、現在に至ります。

わたくし、いま、大変好調です。

 

これが、骨盤底筋群体操にはちゃんと効果があるよ!的な個人的ブログの嚆矢となり、多くの不安な婦女子の心の平安につながることを願って、おわりと致します。